2013年12月31日

『ツイートの箱庭』

架空猫を飼っている。長旅に出るたびに、ペットホテルに閉じ込めるのは忍びないので。
架空猫は、わざわざ私の視界をさえぎって、キーボードをでたらめに踏みつけて立ち去ることがない。もちろん餌もいらないし、猫砂も必要ない。たまに外に出してやりさえすれば、蜃気楼のかけらをくわえ、上機嫌で戻ってくる。


テフロンの利便を離れ、鉄のフライパンを一からじっくり育てている。焼きを入れ、油をならし、決して洗剤では洗わない。もちろん名前などつけないが、二千円で買えるただの商品が、歳月とともに貨幣価値の港を離れることもある。


あれだけの言葉を尽くして、「無知の知」の一言で片付けられたソクラテス。たった一つの数式で、無限の罪過をばらまいたアインシュタイン。収束と膨張、かまわず飲み込んで大あくびをする、空っぽの胃袋一つの、菩提樹の賢人。


朝、ふと気が向いて、ナイフとフォークを捨て、右手だけで食事をしてみる。食パン、目玉焼き、キャベツソテー、そしてヨーグルト。戦慄も啓示もなく、いつもと変わらぬ15分が淡々と過ぎていく。期待をするから失望が生まれると書いた、ノルウェイの作家の後ろ姿をぼんやりと思い浮かべる。


『諸君、爪を切ることは、同時に「爪切られ」でもあるのだ。「目薬さされ」「すね毛そられ」もまた同様に。心してかかれ!』の訓示で始まる一連の紛争の結末は、最高指導者みずからの手による「こめかみ撃たれ」で、毎度のごとく拍手喝采で収束する。


敷き布団を買い替え、古いほうを庭の片隅でお焚き上げする。アルミホイルに包んだジャガイモを一緒に焼いて、「野焼き」禁止の条例を自分勝手にクリアーする。お世辞にも褒められた行為じゃないが、隣家まで100メートル、煙は虚空に飲まれ、夢の断片だけが二、三日、あたり一帯にたゆたっている。


古本を購入。『蛍光灯の替えどきがさっぱりわからない。点滅しかけたなと思ったら、翌日には何食わぬ顔つきで、晴れやかな笑顔を決め込んでいる』という一文の脇に、「男女の機微、フェミニズムの暗喩!」と赤で殴り書きした君、陰ながら応援しているぞ。現実社会で煙たがられている仲間の一員として!


いささか不謹慎な話だが、点滅式のパネルによって火事の現場が選ばれるという漫画的概念を、大人になったいまでも捨てきれずにいる。世界各地、終わりなくランダムに点滅を繰り返す、その地球型パネルの火種は、ときに大気圏の外まで飛び火し、すでに巨星ベテルギウスに到達している模様。


刀を研ぐ心づもりでツイートをひねり出している反面、せっかく時間をかけてため込んでいるダムの水を、ちびちびと小出しに放水でもしているような、妙な心の揺らぎも少なからず覚えている。とどまる水はたしかに腐る。しかし腐りの底の、混沌の泥から生まれ出た言葉もまた、物語には不可欠であり。


もう十年以上、広隆寺の弥勒菩薩を携帯電話の待ち受け画面にしている。無言ゆえの雄弁、秘匿された精緻、過去に向かう永遠性。相反(あいはん)する二つの言葉を涼やかな笑みで受容するそのまなざしは、今日も明日も一年後も、「567千万年」先の普遍の神話を映し出している。


© Yoichiro Morimizu 2013   『ツイートの箱庭』