2015年9月5日

お気に入りの品々 その3 『レンコン禅』

胸の奥に、灰色のもやだまりが居座ることが、ごくまれにあります。
そんなときは、電灯を落として、布団の上でゆるりとあぐらをかき、名前のない楽器になったつもりで、息の続くかぎり「アー」と声を発し続けます。正確には、片仮名の「ア」ではなく、梵字の「」です。


息を吸い、のどに無理なく声を発して、ゆっくりと息を吐ききる。やがて梵字でも片仮名でもない、形而上の「あ」なるものが、意識の大半を占有し、身体の輪郭と音の波動が、ぴたりと一致します。薄皮一枚にくるまれた、音の震えそのものになります。

五分、十分、じっとりと汗をかき、やがてかりそめの風船は収束を迎えますが、そうやすやすと、灰色のもやだまりは消えてくれません。一時的に薄れることはあっても、それはほどなく、息を吹き返し、元の姿に戻りたがり、あらためて不死の知らせをもたらします。

色即是空。混沌の沼地に眠るレンコンの穴を飼い慣らそうとしても、釈迦はほくそ笑むばかりです。


作品「剣山」 寺井陽子 作