2015年11月6日

機、熟す (詩集『九月十九日』の発売に先立って)

114日、快晴。
調布にある仙川駅に降り立ち、すぐそばの商店街の小道にもぐり込み、あらかじめ調べておいた花屋に顔をのぞかせる。
予算を伝え、「華やかな感じで」とお願いすると、中年の店主は「ふむ」とうなずき、余計な言葉を発することなく、明らかに何本かおまけしてくれた大ぶりの花束をこしらえてくれる。
礼を言い、礼を言われ、意気揚々と、目的の出版社、ふらんす堂に出向く。

午前11時。低層ビルの二階、近代的なウナギの寝床を思わせる、細長いワンフロアの一室にお邪魔し、お茶うけの洋菓子と、花束を献上する。
ほんの一瞬、インクの香りが鼻先をかすめる、書架に囲まれた日当たりのいい応接室に通され、担当である山岡有以子さんと顔を合わせる。
さんざんメールでやりとりをしてきたので、初対面の感じはあまりせず、持参した決定稿のゲラを広げ、さっそく打ち合わせに入る。

山岡さんは大車輪の働きぶりで、ウナギの寝床を行ったり来たり、表紙カバーの紙のサンプルや、色見本の束などを、テーブルに乗りきらないぐらい運んできては、一緒になってうんうんうなり、目の前の課題を、一つ一つ丁寧に片付けていく。
時計の針が正午をまわり、ときおり寝床の奥から、よだれを誘うほの甘い匂いが運ばれてくる。しばらくして、私の身体でないほうから、お腹の鳴る音が「くぅ」と聞こえ、反射的に「お腹が鳴りましたね」とこぼしてしまう。山岡さんは真顔で、すっと、窓ぎわに置かれた大きな猫の置物を指差す。ようなことはせず、「鳴りましたね」とはにかんで答え、ふたたび坂をのぼり始める。

ぶっ続けで2時間半、ときおり淹れ直してくださったお茶で喉をうるおし、表紙絵の色の濃さ、ひものしおりである「スピン」の色、背表紙の内側にほんの少し顔をのぞかせる「花ぎれ」の布などを、たっぷり時間をかけてチョイスしていく。やがて、何もかも首尾よく決定され、「ここまで時間をかけた人は、はじめてかもしれません」という、なんだか複雑な心持ちにおちいる、褒め言葉(らしきもの)をいただく。よって、変な苦笑いで会釈を返す。

ほどなく、ふらんす堂の社長である山岡喜美子さんが顔を出され、あいさつ早々、「メールのさいは、すみませんでした」といきなり謝罪される。恐縮し、「ああ、名前の」と答え、真似してほんの少し腰を折る。そうなのだ。私はよく、名前を間違えられる。「森永(もりなが)陽一郎」であったり、「水森(みずもり)陽一郎」であったり、ひどいときには、「森末慎一郎」という、体操選手のばったものまがいの間違いをされることもある。なので慣れっこなので、気にしない。

あいさつをすませ、なんだか進路面談のような心持ちで、聞かれたことにいろいろ答える。言葉の選択に失敗し、言い直そうか考えるが、どんどん背後に流れてすぐにその姿が見えなくなる。
たとえば、「どうして詩を書こうと思ったのか」

これにはまず、質問者に満々と水をたたえた巨大なダムを想像してもらう必要がある。
私にとって「小説」を書くことは、時間をかけてため込んだ水の、その放水作業にあたる。しかしながらどうしても、使い切れない素材(マテリアル)がそこには残される。一見するとそれは、ダムの底に貯まったヘドロ状の、使い道のない混沌にしか見えない。
詩を書くことは、その混沌に手を突っ込み、あるいは頭からもぐり込み、手探りで光り輝く砂金のつぶを探し当てる作業に似ている。毎回、握りこぶしを作って引き上げてみるまでは、つまり最後の一行を書き上げてしまうまでは、それが「詩」として独り立ちしているのか、まったく判断がつかない。(そして多くの場合、それは腐りかけた流木のかけらであったり、時を経るにつれて色あせる、まがいものの金メッキであったりする)

また、「よく読む詩人はいるのか」という問いかけに、すでに土に還った3人の詩人「オクタビオ・パス」「サルヴァトーレ・クァジーモド」「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」の名前を挙げたのだが、本当に「よく読む」のかと追求されると、うなずくことはできないかもしれない。できるだけ、感銘を受けた具体的な一行を覚えないようにしているし、たとえば『クァジーモド全詩集』は、購入から数年経っているが、行ったり来たりで、いまだに最後のページまでたどり着いていない。(できるだけたどり着かせない読み方をしている)
そして、不思議なことなのか、当然であるのかは定かでないが、彼らのような詩を書いてみたいと、一度として思ったことがない。できるだけ離れた場所にいるべきだと考えたこともない。それは詩人にかぎらず、すべての作家についても言えることなのだが。
ただ、「物を書くようになったきっかけ」については、おそらくこれだろうと考える、「オクタビオ・パス」に関する不思議なできごとがあるので、いずれ何かの機会に書いてみたいと思っている。

と、そのような長々とした説明が、普段は森に暮らす仙人まがいの私に、立て板に水状態でぺらぺら出てくるはずもなく、ほどなく質問タイムが終わる。そして、社長が毎日更新されているブログ「ふらんす堂編集日記」のための、著者撮影に入る。商売道具は顔ではなく言葉でありたいので、「できれば遠めで」とお願いし、お気づかいによって置かれた花瓶の花をそばに、紳士服の広告モデルのような意味不明のポーズを、はからずも作ってしまう。

よっぽど動揺したのか、それとも、美人の社員全員で見送って下さったことに舞い上がってしまったのか、あずけていたジャケットを忘れたまま、ぺこぺこ頭を下げてふらんす堂をあとにし、そのまま商店街を練り歩く。道なりの陶器店をひやかしているさなか、携帯電話がふいに震え、あわあわ言いつつ道を戻り、気の利いた言葉も返せないまま、ジャケットを受け取る。
胸をなで下ろして、ふたたび陶器店に戻り、貫入の景色がおもしろい深鉢を購入し、その特典として、スクラッチカードを7枚引くことになる。自慢じゃないが、くじで当たりが出たことなど一度としてない。結果、ずぶ濡れの迷い犬を助けたわけでもないのに、3枚のあたりが出で、「商店街だけで使えるポイント」を、700円分獲得。
自分が思っている以上に、困惑の面持ちが出てしまったのだろう。店内にいた客人のご婦人がすっと寄ってきて、「もしよかったら変えましょうか、お金に、近所だから」と言ってくださる。「いえいえ、そんな」と言っているあいだに、財布が出てきて、そばのお盆に百円玉が並び、こちらも負けじと「よかったら差し上げます、あたりのカード、全部」と言って、ほんのしばらく「いえいえ合戦」となる。
結局、700円分の小銭を受け取り、「仙川のこと、宣伝しときます!」とも言えずに、それでも、行きとは色違いの、透明な花束でも抱えたようなすがすがしい気分で、仙川の街をあとにしたのだった。


ふらんす堂の訪問の様子は、ページ内の下部に。

今年はじめて実をつけた、庭先のカラスウリ