2016年1月10日

お気に入りの品々 その8 『四位一体(よんみいったい)』

去年の夏、丹波にある立杭焼の窯場で、ちょっとした陶芸体験をしてきました。
本来なら、窯場におまかせするかたちで、作品に釉薬をほどこしてもらうのですが、そこはかたくなに、いくらか怪訝な顔をされながらも、あえて土味を残した、すっぴんの焼き締めにしてもらいました。といっても、赤松の薪による伝統的な登り窯ではなく、観光客向けの電気窯での処理になるので、ビードロ状の自然釉の景色は、はなから期待できなかったのですが。


完成品は、やはり残念かな、あまりにも味がなさすぎた。よって、反則的に、ほんのりコンテの緑をすり込んでみました。(ちなみに、もう一品、本来の目的である花器をこしらえたのですが、納得がいかずここではお蔵入り)


裏面には「五輪塔(ごりんとう)」に刻まれる、宇宙を構成する五大、「空」「風」「火」「水」「土」の、五つの梵字が刻まれています。脇の「Z」は、発送のさいに間違いがないよう、知らぬ間につけられたもの。最初はむっとしましたが、ある意味では、「終焉の仏塔」にふさわしい、唯一のアルファベットといえるのかもしれません。



おそらく自分の中で、納得いくだけの手ごたえがなかったのでしょう。実際に焼かれたものが届いた翌月には、10キロの白土を買い込み、まったくの自己流の手びねりで、一輪挿しやぐい呑みを作り始めていました。



しかしながら、自宅に電気窯はなく、近所の陶芸クラブに通うほどの情熱もありません。
庭先に、モグラの露天風呂を思わせる 地面に穴を掘ったかたちの石組みの地炉(じろ)はあるのですが、インターネットであれこれ調べたかぎり、縄文式の野焼きでは、温度管理がなかなか難しそう。
そこでさっそく、近所のホームセンターに出向き、七輪や大量の炭、耐火レンガや保護ゴーグル、乾燥させた作品を遠火であぶるための金網などを買い込んできました。

強度の関係でしょうか、七輪の内部は思いのほかせまく、内壁の珪藻土をノミでがんがん削っていきます。それでも収まるサイズは、どんぶり茶碗ぐらいが限度。そのころには、あらたな目標ができており、頭の中であれこれ完成形を思い描きつつ、加工前の牛革なども取り寄せていました。

その後、予期せぬ爆発や、冷ましでのひび割れなどをくぐり抜けて、秋終わりにようやく仕上がったのが、こちら。


詩集『九月十九日』を刊行するにあたって、お世話になった方々に贈るための、手作りの記念品です。表紙の絵を提供して下さった玉川麻衣さん、オビ文を書いて下さった河津聖恵さん、そして、いろいろと無理難題を聞いて下さった、ふらんす堂の山岡有以子さんの、お三方。

ちなみに、革の小袋のえんじ色は、詩集のワンポイント、および見返しの紙の色とリンクしています。もちろん、革ひもの留め具も自作。購入時にざらついていた革の裏面は、クリーム状のトコノールをすりこみ、ガラスコップの裏面で親のかたきのごとく、徹底的に磨き上げました。


あみ目になった突起は、モリーユ(morille)。パスタのソースとよくからむ、歯ごたえの楽しい春のキノコです。日本でも「アミガサタケ」という名で自生しているはず。球体の内部は、一度大きくくり抜いてから、あらためて彫刻刀で削り出してみました。

革の小袋のなかでは、当然ふたが暴れ、へたをすると割れてしまうので、黄色いウコン布で包んで収納。そしていざ、12月の終わり、四ツ谷の北島亭へとくり出し、ささやかなお祝い会の席にて、薔薇色の歓声を浴びつつ、お披露目することができたのでした。

実は中に、ちょっとした「福の神」を忍ばせていたのですが、それは秘密。(ブログ経由で詩集『九月十九日』を購入すると、いくつか特典がついてくるので、その答えを知ることができます)
 【追記・すでに終了し、現在のおまけは陶器製の小玉ヒツジ


それから、おまけとして贈らせてもらった、小さな家。
数が二つ多いのは、拭き漆(うるし)のボールペンを贈って下さった、ふらんす堂の社長、山岡喜美子さんと、すでに個人蔵となっていた表紙の絵を、再撮影にあたりこころよく提供して下さった、持ち主の方への御礼。


そうして、詩集の刊行までに、いろいろと予期せぬ荒波が待ち受けていながらも、なんとか心強い三銃士とともに、ダルタニアンは三位一体ならぬ、四位一体となって、ささやかな冒険の旅を、無事に終えたのでした。