2016年8月25日

展覧会 『木々との対話』

8月某日、土屋仁応さんが取り組まれた新作の彫刻を見に、上野の東京都美術館を訪れる。


土屋作品との出会いは、さかのぼること6年前、旅先の北海道で、グループ展が開かれているのを偶然札幌の美術館で見かけ、その比類のない精緻な仕事ぶりに、大げさではなく、しばしのあいだ時計の針をとめられたのだった。

急遽予定を変更し、人魚や獏(ばく)などの小品が展示された部屋で、息をつめて1時間ばかり過ごしただろうか。これはとんでもないものを目撃したぞという嬉しい震えと、この作家はこれ以上のものを今後作り続けることができるのだろうかという余計な心配で、胸がいっぱいになったことを、昨日のことのように覚えている。


その日から数年、銀座のメグミオギタ・ギャラリーで個展が開かれるたびに、参勤交代でもするように千葉の果てから駆けつけたのだが、そのたびごとに幹を太くし、足元の根を深く張られた、土屋作品に出会ってきた。それはまさしく、天上的な僥倖(ぎょうこう)とも呼べるような、精神の深い場所に隠れたささやかな泉を探し当てるような、貴重な経験だった。



そして昨年の秋、あえてさけていたその機会は、とうとうやってきた。
仙川にあるふらんす堂での、詩集の最終打ち合わせの帰り、日本橋の三越で催されていた新作の展示販売会に、ふらりと立ち寄ったのだが、なんとその場に、土屋仁応さん本人がいらしたのだった(たしかツイッターでの在廊告知はなかったはず)。

販売会初日にもかかわらず、すでに一点だけを残して、すべての作品に売約済みのシールが貼られているその人気ぶり。決して手ごろな価格とはいえないのだが、作品のできばえと求心力をかんがみると、当然といえば当然である。


近づいたり離れたり、ため息まじりにしばし作品を鑑賞したあと、少し暇そうにしていた土屋さんに、ちょっとばかり疑問があったので声をかけさせてもらった。
これは彫刻家にかぎらず、素晴らしい仕事を残した人の多くにあてはまると思うのだが、やはり土屋さんも、きわめてひかえめなお人柄で、どことなくほがらかな、相手の緊張をするりととく、独特の空気をまとっておられた。

こちらといえば図に乗って、ここぞとばかりに質問攻め(彩色の仕方や、今後向かわれる作品について)、よせばいいのに、土屋さんの小品「麒麟」が、個人取引のオークションにかけられていたことまで、べらべらしゃべってしまった。ハレの場にそぐわない、まったく余計な蛇足の告げ口である。もちろん土屋さんは、「少し残念ですね」とおっしゃるだけで、「その人も、あなたも」などとは決して言わない。

しかしこの話には、実は私なりの土屋作品への思いがあったのだが、その場ではうまく言葉にできなかった。つまり、少しばかり無理をして、たとえ運よく入札できたとしても、骨身を削る思いで作品に取り組まれた土屋さんには、一銭たりともその見返りがもたらされない。格好をつけるわけではないが、それはなんだか道筋が違うぞ、創作者のはしくれとして、まっすぐに目を見れない恥ずべき行いだぞと、そのような思いが根底にあり、いくらか歯噛みしつつ、入札を見送ることにしたのだった。
(結局その作品は「未入札」で、気が変わったのか、その後まったく姿を見かけない)

本当ならその場で、びしっと端的に説明し、最後の作品をスマートに購入できればよかったのだが、残念ながら私はアラブの石油王ではなく、どちらかというとオケラの二等兵だ。飛んできた銃弾がするりと貫通する、ぺらぺら財布の持ち主だ。
後悔先に立たず。ほどなく、閉店案内の甘ったるい音楽にせかされるかたちで、あたふたと礼を述べ、早くも自己嫌悪の氷雨(ひさめ)に降られつつ、その場をあとにしたのだった。


そしてこの夏、からっと晴れ上がった8月の吉日、時の洗礼を軽々と超越しそうな新作の大型作品を、2時間あまりかけて体感し、やはり毎度そうであるように、知らず知らずのうちに曲がった背筋のあたりに、焼けた鋼(はがね)のものさしをズドンと流し込まれるのだった。

お前はいったい何をしているんだ。
今日まで何をしてきたんだ。
これから何をするつもりなんだ。



土台と一体となった、躍動の風に生きる鳳凰。



孤高の頂(いただき)で、澄み切った静けさをまとう麒麟。


そして今回、大型作品の一つである獅子の背中に、ささやかな発見をする。


木彫作品、とくに大きくなるにつれて避けては通れない、「割れ」との格闘の軌跡をそこに見ることで、あらためて土屋さんの、たましいを削る真摯なノミ音を間近に聞きつけ、荒々しくも生々しい、いまだ呼吸を続ける木の鼓動を、たしかに実感するのだった。