2015年12月17日

お気に入りの品々 その7 『予言する手帳』

生まれてはじめて持った手帳は、たしかNTTのロゴが入った、合皮製の粗品であったと記憶している。
とくにこだわりもなく、その手帳とともに上京し、恵比寿にある街場のレストランで働き始めたのだが、あるときふいに、長身の(いささか鼻持ちならない)ソムリエに、文字どおり、それも見事なぐらい、手帳に書き込みしているところを鼻で笑われた。

なかなか辛辣な、手帳が気の毒に思えるぐらいの言葉の矢を浴びたのだが、私は不思議なぐらい、ほとんどショックを受けなかった。なぜなら、「何に」書き込むのかではなく、そこに「何を」書き込むのかのほうが、私にとっては大切であったからだ。

その後、二年ばかりその手帳を愛用していたのだが、ある春の日、恵比寿ガーデンプレイス内の三越にある本屋で、心を動かされる光景に出会った。どうやら、店舗を大規模に改装するにあたって、これまでの雑貨を処分してしまいたいらしく、いわゆる「ワゴンセール」のかたちで、こじゃれたデザインのスウォッチや、ブックカバーや、色とりどりのペンなどが、おしくらまんじゅう状態で売られていたのだった。


たしか売値で、五百円ほどだったはずだ。ほかは売れてしまったのか、それとも元から一つかぎりであったのか、その手帳はワゴンのすみっこのあたりで、人気のない弁当箱のおかずのようなおもむきで、ぽつんと孤立していた。しかしながら、手にしてみると思いのほかしっかりとしており、ナイロンカバーを通して、ステッチの丁寧な仕事ぶりが見てとれる。定価こそ書かれてないが、少なくとも硬貨一枚で買えるような仕上がりではない。

それから早15年、ステッチの糸を気まぐれに染めてみたり、ひび割れにコンテをすり込んでミンクオイルで磨いてみたり、かなり乱暴な使い方をしてきたのだが、よれもなく、破損もなく、いまだに現役でトートバッグの特等席に収まっている。
購入したころのような、フランス語のルセット(レシピ)を書くことは、もうなくなってしまったが、そのはじまりのページには、まるで遠い将来詩を書くことを予言でもしたかのように、オクタビオ・パスの「二つのからだ」が、二十代の私の手によって書きつけられている。


「二つのからだ」

むかいあう二つのからだ
あるときは夜の海の
二つの波。

むかいあう二つのからだ
あるときは夜の砂漠の
二つの石。

むかいあう二つのからだ
あるときは夜の底で
からみあう根。

むかいあう二つのからだ
あるときは夜の稲妻の
二つの刃。

むかいあう二つのからだ
あるときは虚空に落ちる
二つの星。

オクタビオ・パス 桑名一博 訳


そしてこの冬、手帳はあらたな伴侶を迎えることになった。


詩集『九月十九日』の刊行にあたって、ふらんす堂の山岡喜美子社長から贈られた、ずしりと重みのある、拭き漆(うるし)のボールペン。

「何に」書き込むのかではなく、「何を」書き込むのか。
おそらくその追求の旅は、まだ始まりのとば口に立ったばかりで、きっと終わりがない。